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2024年11月25日
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東洋医学的な鍼灸へ
2007年05月20日
東洋医学的な鍼灸をしようとシフト(移行)したのは在学中の話。
どうも、泰心堂です。
私の母校は『関東鍼灸専門学校』と言って千葉県は幕張にある鍼灸のみの専門学校です。この学校は『積聚治療』(小林詔司 現役 積聚会会長)とその派生『気血治療』(波岡久夫 故人)の発祥の地です。残念ながら小林は昨年度末を以って退官されましたが、積聚治療の伝統は残っていくようですね。
さて、もともと「卒後すぐに使える治療技術が欲しい」とかなり俗物的な発想を持って入学したのですが、西洋医学に基づいた針灸と言うのもかなり興味がありました。それは自分自身が長年スポーツと係わってきた影響もあるでしょう。
こういったスポーツの分野では身体全体の不調よりも肘なら肘といった局所的な障害、症状について話がされることが多い。そうすると西洋医学を中心に学んで構造上こうだから、考えられる障害の原因が○○筋のオーバーユースだから・・・ってな話ができないといけないみたいな風潮がありましたしね。
それに対して東洋医学的治療中でも積聚治療、経絡治療というのはこの局所的な問題にたいして明確な方法論、具体的かつ有効な手当てを示すものではなかったのです。
現実的にはどうかと言うと積聚治療、経絡治療などに基づいて体の不均衡を調整していくと自然に局所の問題も解決するのですが、当時の私はそこまで効かせられる力量がなかったのです。
そういった基礎力を棚上げにして、分かりやすいと言うだけで筋肉に対して鍼をしていたり、電気を流して見たりなんてことをしていた時期もありました。これは一言で表現すれば『焦り』ですね。
確かに、このやり方、激しい痛みを取り除いたり、痺れを押さえ込んだりということには有効でした。が、長続きしなかったり、対症的であったりしてなかなか根治しません。回復力が高い人はこれだけでも治癒するのですが、治癒しない人もいる。
おまけにこのやり方、治療経験のない事例(症状)、徴候(身体が示すサイン)がはっきりしない方などを相手にする場合著しく効率が悪くなるし、戸惑いが生じてしまう。
なぜならば、原理原則ではなく、対症状だからです。
では、どうしたら良いか?原理原則ってなんだろうか?
このように観たとき原理原則ってのは病理に至る過程なんだなとふと思い、そこからがシフトが始まりました。
では東洋医学と西洋医学とでは何が違うか?
身体観がそもそも違うわけです。
たとえば、鍼ってのは一面『刺激療法』です。で、西洋医学の範疇では『○○筋に○cm刺入』の結果その筋がどうなったかと言う把握をします。でも東洋医学では同一部位に鍼を打つ行為で身体全体にどういう影響を及ぼしたかという捉え方をします。
たとえば『肩こり』。
西洋医学では、『肩こり』とはその付近の筋肉の過緊張が原因そのものです。だので該当する筋肉に鍼で刺激を与え、瞬間的に緊張させ、弛緩させるか、持続的な刺激を与え疲労による弛緩をさせるかのどちらかになります。
東洋医学では『肩こり』とは身体の偏りから顕在化した一つの目印だと考え、身体の中にどういった偏りが生じているのか?を東洋医学的な病理として東洋医学的な整理と比較して考えます。で、治療方針=証を決めて、東洋医学的なエネルギーのルートである経絡を使って補正することを考えるわけです。その結果、刺激箇所が方でなく、足になったりもします。それでも肩こりが取れるわけですね。なぜなら足に鍼を打つことで身体の中の偏りが補正されるわけですから、その偏りにとって出ていた『肩こり』は偏りが補正された時点で解消されるはずです。
このように西洋医学は局所を意識した治療が中心であり、東洋医学は全体を意識した治療が中心となっています。
一方、人の身体は一部が独立して良くなったり悪くなったりするような代物ではありません。どこかしら影響しあっています。だので一部の症状を抑える治療でなかなか治らない疾患などが、全体のバランスをとることで自分が持っている治癒力を有効に使えるようになり治ってしまうなんて現象が起こるわけですね。
これは優劣の問題ではなく、向き不向きの問題だと思います。
・・・とまこういう観点から東洋医学的な身体観に基づく鍼灸治療にシフトして、西洋医学的にはどう考えるのかなんかも学びつつ、今の形にたどり着いたって感じでしょうか?
さて、東洋医学的な鍼灸の優れたところでも書いてアピールしておきましょう。
東洋医学的な鍼灸の優れたところ。
1.症状に囚われず、全身の調和を図るために一部の不適応(緊急に命に関わるもの)を除き数多くの疾患に対して同様の手段で調整できる。これを『異病同治』という。
2.全身の調和を求め、その結果、局所の問題が解決するという概念に基づいて治療するので局所が触れないときでも治療できる。
3.鍼灸は東洋医学的な見地に基づいて体の調整をし、回復力を引き出す治療方法であり、手術、投薬などに比べて体の負担が少ない。
4.身体の回復力、抵抗力自体を向上させることが狙いの一つであり、その結果、原因がはっきりしない風邪なども自分の身体の中で解決できる。(すべてではない。)
逆に西洋医学の優れたところ
1.症状に対して病名が決まり、具体的な治療手段が示されており、治癒までの経過を述べられる疾患に対して非常に有効。たとえば、ウィルス、細菌などの病原がはっきりしている疾患で、病原を取り除くことが確実にできるものについては、抵抗力を挙げて解決を待つ東洋医学よりも短期間で治療できる。
2.緊急時に緊急救命措置が取れる。生命維持装置、人工心肺装置を使うことで治療する時間を稼ぐことができる。
3.異物の混入などで、異物の物理的処理など具体的な処置が取れるモノに強い。
・・・てなとこですか?
原因不明、病名が不明あるいは○○症候群など曖昧、治療法が良く分からない、治るまでの経過が不明の疾患はむしろ東洋医学の方が治療手段があるといえるかも知れません。
・・・と今日はここまで
どうも、泰心堂です。
私の母校は『関東鍼灸専門学校』と言って千葉県は幕張にある鍼灸のみの専門学校です。この学校は『積聚治療』(小林詔司 現役 積聚会会長)とその派生『気血治療』(波岡久夫 故人)の発祥の地です。残念ながら小林は昨年度末を以って退官されましたが、積聚治療の伝統は残っていくようですね。
さて、もともと「卒後すぐに使える治療技術が欲しい」とかなり俗物的な発想を持って入学したのですが、西洋医学に基づいた針灸と言うのもかなり興味がありました。それは自分自身が長年スポーツと係わってきた影響もあるでしょう。
こういったスポーツの分野では身体全体の不調よりも肘なら肘といった局所的な障害、症状について話がされることが多い。そうすると西洋医学を中心に学んで構造上こうだから、考えられる障害の原因が○○筋のオーバーユースだから・・・ってな話ができないといけないみたいな風潮がありましたしね。
それに対して東洋医学的治療中でも積聚治療、経絡治療というのはこの局所的な問題にたいして明確な方法論、具体的かつ有効な手当てを示すものではなかったのです。
現実的にはどうかと言うと積聚治療、経絡治療などに基づいて体の不均衡を調整していくと自然に局所の問題も解決するのですが、当時の私はそこまで効かせられる力量がなかったのです。
そういった基礎力を棚上げにして、分かりやすいと言うだけで筋肉に対して鍼をしていたり、電気を流して見たりなんてことをしていた時期もありました。これは一言で表現すれば『焦り』ですね。
確かに、このやり方、激しい痛みを取り除いたり、痺れを押さえ込んだりということには有効でした。が、長続きしなかったり、対症的であったりしてなかなか根治しません。回復力が高い人はこれだけでも治癒するのですが、治癒しない人もいる。
おまけにこのやり方、治療経験のない事例(症状)、徴候(身体が示すサイン)がはっきりしない方などを相手にする場合著しく効率が悪くなるし、戸惑いが生じてしまう。
なぜならば、原理原則ではなく、対症状だからです。
では、どうしたら良いか?原理原則ってなんだろうか?
このように観たとき原理原則ってのは病理に至る過程なんだなとふと思い、そこからがシフトが始まりました。
では東洋医学と西洋医学とでは何が違うか?
身体観がそもそも違うわけです。
たとえば、鍼ってのは一面『刺激療法』です。で、西洋医学の範疇では『○○筋に○cm刺入』の結果その筋がどうなったかと言う把握をします。でも東洋医学では同一部位に鍼を打つ行為で身体全体にどういう影響を及ぼしたかという捉え方をします。
たとえば『肩こり』。
西洋医学では、『肩こり』とはその付近の筋肉の過緊張が原因そのものです。だので該当する筋肉に鍼で刺激を与え、瞬間的に緊張させ、弛緩させるか、持続的な刺激を与え疲労による弛緩をさせるかのどちらかになります。
東洋医学では『肩こり』とは身体の偏りから顕在化した一つの目印だと考え、身体の中にどういった偏りが生じているのか?を東洋医学的な病理として東洋医学的な整理と比較して考えます。で、治療方針=証を決めて、東洋医学的なエネルギーのルートである経絡を使って補正することを考えるわけです。その結果、刺激箇所が方でなく、足になったりもします。それでも肩こりが取れるわけですね。なぜなら足に鍼を打つことで身体の中の偏りが補正されるわけですから、その偏りにとって出ていた『肩こり』は偏りが補正された時点で解消されるはずです。
このように西洋医学は局所を意識した治療が中心であり、東洋医学は全体を意識した治療が中心となっています。
一方、人の身体は一部が独立して良くなったり悪くなったりするような代物ではありません。どこかしら影響しあっています。だので一部の症状を抑える治療でなかなか治らない疾患などが、全体のバランスをとることで自分が持っている治癒力を有効に使えるようになり治ってしまうなんて現象が起こるわけですね。
これは優劣の問題ではなく、向き不向きの問題だと思います。
・・・とまこういう観点から東洋医学的な身体観に基づく鍼灸治療にシフトして、西洋医学的にはどう考えるのかなんかも学びつつ、今の形にたどり着いたって感じでしょうか?
さて、東洋医学的な鍼灸の優れたところでも書いてアピールしておきましょう。
東洋医学的な鍼灸の優れたところ。
1.症状に囚われず、全身の調和を図るために一部の不適応(緊急に命に関わるもの)を除き数多くの疾患に対して同様の手段で調整できる。これを『異病同治』という。
2.全身の調和を求め、その結果、局所の問題が解決するという概念に基づいて治療するので局所が触れないときでも治療できる。
3.鍼灸は東洋医学的な見地に基づいて体の調整をし、回復力を引き出す治療方法であり、手術、投薬などに比べて体の負担が少ない。
4.身体の回復力、抵抗力自体を向上させることが狙いの一つであり、その結果、原因がはっきりしない風邪なども自分の身体の中で解決できる。(すべてではない。)
逆に西洋医学の優れたところ
1.症状に対して病名が決まり、具体的な治療手段が示されており、治癒までの経過を述べられる疾患に対して非常に有効。たとえば、ウィルス、細菌などの病原がはっきりしている疾患で、病原を取り除くことが確実にできるものについては、抵抗力を挙げて解決を待つ東洋医学よりも短期間で治療できる。
2.緊急時に緊急救命措置が取れる。生命維持装置、人工心肺装置を使うことで治療する時間を稼ぐことができる。
3.異物の混入などで、異物の物理的処理など具体的な処置が取れるモノに強い。
・・・てなとこですか?
原因不明、病名が不明あるいは○○症候群など曖昧、治療法が良く分からない、治るまでの経過が不明の疾患はむしろ東洋医学の方が治療手段があるといえるかも知れません。
・・・と今日はここまで
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