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2024年04月27日
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臨床家の手の訓練

2007年01月17日
ど~も~泰心堂です。
「いや~鍼灸ってほんっとにおもしろいですね。」(水野晴朗風に)
と鍼灸の魅力と恩恵にどっぷりつかっている一人であります。
でも東洋医学一辺倒というのも偏りというもので折に触れて西洋医学的な考えるとどうなっているのか、西洋医学的な鍼灸のアプローチだとどう考えられるのかなんて視点を持つようにしています。

恩師の言葉にこんなのがあります。
「九鍼(様々な鍼)をあまねく使いこなせるようになりなさい、そして次に一つの鍼でそれらができるように技を磨きなさい。まずは刺してその影響力を知りなさい。次いで刺さずしてその影響力を及ぼすようにすることを考え力を磨きなさい。そこに至れば今度はただ触れるだけ影響を及ぼせるようになりなさい。そうすればどこにいても、何も専用の鍼がなくても治療することができます」
と、ま最後のは霊術っぽくてちょっと神懸り的になってしまいますのでおいておくとして、でもこういう心がけは大事だと思います。

知識は日々の弛まぬ文献的研究や臨床のフィードバックを通していつでも使える智慧として、技術は日々の研鑽を通じて常に向上を目指す。そういったプロとして当たり前の態度とお客様のやり取りこれらが日々の臨床を支える要素であることは紛れもない事実だと思います。

さて、ではそれを支えるものとして最も大事なものはなんだろうか?

ま、『手』でしょうね。
秘訣そして『肚で打て』とか『背を抜いて打てとか』あるいは逆に『背で打て』とか『足で打て』とかいろいろあるわけですが・・・私思いますに吹けば飛ぶような現代人の身体でそれって難しいと思うんですよね。

こういう口伝を残している方たちの身体能力ってのは現代人よりもはるかに高かったのではないかと思うわけです。実際に武道家と医術家を兼ねていた人というのも多いですし、口伝を残している人たちの時代では武芸は嗜みの一つなわけです。そう日頃から鍛錬している人にこういう秘訣は意味が出てきますが、なかなかその境地というのは体感できないわけです。
何せ『軸』の意識が違います。軸が違えば力の伝わり方が異なりますから。

そうするとまずは身体を鍛えてから・・・なんて患者さんは待ってはくれません。
すると小手先で打つことを考え徐々に体幹との連動というのを考えていくのが筋道になるでしょう。『小手先の鍛錬』からというのは妥当な発想ですね。

この辺を近年、強調しているのが和方鍼灸友の会の世話人のお二人。
そのうちの一人が同会代表でもある『長野仁』氏。師という言葉を使うには私は距離感が近くありませんので失礼に当たるかと思います。ここでは『氏』あるいは『先生』と呼称させていただきたいと思います。
さて、長野仁氏と言えばNHK講座などで『ツボ体操』を指導していたりとかなりマルチな活躍をされているお一人ですね。その一方で『唯掌論』という養老先生の『唯脳論』のパロディのようなタイトルで小手先の訓練の重要性を説いています。

確かに私たち鍼灸師は手先の仕事である。最終的に手でいかに力を導くかの問題ですから、小手先を鍛えるのには意味があることです。

今週末、東洋はり医学会で長野氏ともう一方が揃って講演をするとのことですが・・・いったいどのような展開になるのでしょうか?
残念ながら所要のため私は参加できないのですが興味深い講演になるのではないだろうかと期待しています。

さて、現役の関東鍼灸専門学校生、つまり私の後輩限定ですが土曜治療室で実際どういうトレーニングをするのかどうしても見せてほしいという依頼があり鍛錬中の身ながら見せることになってしまいました。
ま、本家本元には及ばぬものですが紹介程度ということで一応見せるための構成やら準備やらをしておくことにします。

・・・とそのあたりの整理があるので今日はこの辺で。
おっとコピーライトの話はきちっと書かないとね。
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